ハトリ・マーシャル株式会社を探る(短資会社へ)

前回は、短資会社の変遷を書くだけになってしまったが、 今回は元々の目的であったハトリ・マーシャル株式会社について、触れたい。

羽鳥商会からハトリ・マーシャルへ

日本語版Wikipediaの短資会社の項には、以下のように書かれている、

1993年8月、外為ブローカーのハトリ・マーシャル(羽鳥商会と英MWマーシャル社の合弁会社。東京銀行が大株主)が、「7社目の短資会社」として、無担保コール(先日付取引)の仲介業務に参入し、短資協会にも準会員として加入した。約30年ぶりの新規参入だったが、同社は1999年3月、日短エクスコ(現在の日短キャピタルグループ)に買収された。

ハトリ・マーシャルと日短エクスコの合併の公告は、平成11年8月26日の官報に掲載されている。その中で、合併の日は、平成11年9月27日とされている。合併公告以前に合併しているとは考えにくいので、少なくとも日本語版Wikipediaの短資会社の項の日短エクスコとの合併の時期は間違いであると考えて良さそうである。

今度は、ハトリ・マーシャルがどうできたかを調べたい。 「相互銀行」1986年 36(5) 9ページには、福原 基夫 氏(トウキョウフォレックス株式会社 監査役)による「東京外為市場の現状と展望」という記事に、 ブローカーの国際化の略歴として、ハトリ・マーシャルの略歴が掲載されている。

②ハトリ・マーシャル(株)
昭和30年4月、羽鳥・中野商会として営業開始(32年8月、羽鳥商会と改称)。60年2月、M・W・マーシャル(本社ロンドン、56年6月南商店[30年4月営業開始]を買収して東京支店開設。60年2月廃業)と資本・業務提携の上、称号変更。

これを西暦に換算して並べると、以下のようになる。

1955年(昭和30年)4月
羽鳥・中野商会として営業開始。
1957年(昭和32年)8月
羽鳥商会と改称。
1985年(昭和60年)2月
M. W. Marshall社と資本・業務提携して、ハトリ・マーシャルと改称。

これの掲載された相互銀行誌は1986年のものなので、1993年の無担保コール翌日物の仲介業務への算入と日本語版Wikipediaに書かれている内容はまだ起きていない。 つまり外為ブローカーであった段階と考えられる。

ここでは、ハトリ・マーシャルは羽鳥商会が改称されたものとされていて、日本語版Wikipediaにあるような羽鳥商会とM. W. マーシャルの合弁会社として設立されたものではないように書かれている。 しかし、1985年(昭和60年)2月にハトリ・マーシャルができたというのは間違っていないかもしれない。昭和60年4月8日の官報で、羽鳥商会とM. W. マーシャル・アンド・カンパニーの代わりに、 ハトリ・マーシャルが貸金業法上の短資会社に指定されている。

ハトリ・マーシャルが「称号変更」したというのは、「外為相場とディーリング (総合金融取引シリーズ2) 山本 圭民 著 (東京銀行) 経済法令研究会 刊の61ページ目にも記載されている。 ただ、ここにも、東京銀行が出資しているという記述はないようである。

ハトリ・マーシャルが羽鳥商会が社名を変更した会社でなかった場合には、どうにも調べようがないような気がする。 羽鳥商会が解散したという公告は、官報には掲載されていないようである。また、現時点の国税庁法人番号掲載サイトにも 羽鳥商会という企業は掲載されていない。 もちろん、いずれも社名を羽鳥商会から変更しているとすれば、追うことはできない情報ではある。

ハトリ・マーシャル

私がアクセスできるデータベースで、最初にハトリ・マーシャルが現れたのは、Japan Times 1987年6月23日 14面の求人広告記事であった。 「HATORI-MARSHALL COMPNANY LIMITED」としての英文の求人広告である。 また、1988年8月1日の14面にも、「HAROTI-MARSHALL CO., LTD.」名義の英文の求人広告が掲載されている。

日本語の求人広告も、この後に2つ掲載されている。 1つは1989年7月10日の13面に掲載されてり、もう1つは、1991年7月22日の13面に掲載されている。 ここには会社概要として、共通して以下のように記載されている。

会社概要
日英合弁の国際金融業(株主:東京銀行・マーシャル社ロンドン)。東京と海外市場を結んで、内外一流銀行の外国為替(ドル・マルクなど)、外貨資金(ユーロダラーなど)取引の仲介(ブローキング)。

これにより、大株主かどうかははっきりしないが、東京銀行が株主であったことが分かる。 また、羽鳥商会がもし社名を変更してハトリ・マーシャルになっていなかったとしても、特筆すべき株主として存在はしていなかったのも分かる。 社名にハトリとありながら、特筆すべき株主でないということはあり得なさそうである。 これも、羽鳥商会がハトリ・マーシャルになったということの傍証になっているように思われる。

1989年7月10日の求人広告を掲載しておく。

短資会社へ

短資会社としてのハトリ・マーシャルは、官報にあるように羽鳥商会として昭和58年の時点で既に指定を受けていた。 つまり、貸金業法上の短資会社には、その指定制度の最初から羽鳥商会は存在していたということである。 証券取引法施行令での短資会社の指定は、昭和57年の時点でも短資会社6社のみである。

官報を検索してみても、羽鳥商会(株式会社羽鳥商会 東京都千代田区大手町二丁目六番二号)が登場するのは、1976年(昭和51年)2月12日、9月24日に小切手に関する公示催告が最初である。 1982年(昭和57年)7月3日には、定款変更をして株式の譲渡を制限できるようにした旨の公告が出ている。 しかし、いずれも、羽鳥商会の当時の事業を知る手掛りにはならなさそうである。

短資会社の主要な業務であるコール市場への参入は、Japan Times 1989年(平成元年)8月14日の9面に記事が「Hatori-Marshall ready to enter call-loadn field」として掲載されている。 短資協会が1962年に設立されて以来の新しい参入者であり、無担保コールローンから参入すると書かれている。

短資協会のウェブサイトの沿革には、ハトリ・マーシャルは1993年(平成5年)8月16日から1999年(平成11年)3月31日の間に 準会員であったと記載されているが、コール市場へ参入すると同時に短資協会へ加入した訳ではなかったというだけのことであろう。

長くなってしまったので、ハトリ・マーシャルになってからのその後は次回書きたい。

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ハトリ・マーシャル株式会社を探る (その後)

前回 は、ハトリ・マーシャルが短資会社になったところまでを書いた。 今回は、その後の話題に触れたい。 短資会社となった後に、ハトリ・マーシャルが大きく活躍したような記事はあまり見付けることができなかった。 そもそも短資会社や外為ブローカーについての情報が少な...