前回は、ハトリ・マーシャルが短資会社になったところまでを書いた。 今回は、その後の話題に触れたい。
短資会社となった後に、ハトリ・マーシャルが大きく活躍したような記事はあまり見付けることができなかった。 そもそも短資会社や外為ブローカーについての情報が少ないだけで、本当は違うのかもしれないが…。
以下では。トピックスとして何点か挙げておきたい。
ユーロ円・ドル円先物からの撤退
Japan Times 1992年10月15日 9面には、「Firms to pull out of futures market」という記事でユーロ円・ドル円先物からの撤退をするという記事が出ている。
ソフトウエア開発
求人情報にも、ソフトウエア開発の要員が挙げられていた。英文の求人広告にもData Processingのできる人を求めるという記載があった。 財界人 8(8)(312) 1995年7月刊 57ページには、コスマックというソフトウエア開発会社と共同で、「アプレシア」という金利スワップ・オプション取引支援ソフトウエアを PC用に開発したことが報じられている。 以前のものは、大型ワークステーションを使っていたと書かれており、求人広告にあったDEC VAXを指しているのかもしれない。
レポ取引への参入と停滞、再開
日経公社債情報1997年6月9日 5ページには、「債券レポ仲介業者 新規参入、手数料引き下げで攻撃」とう言う記事の中で、
これまでレポ仲介へ参入はしたものの開店休業状態だった外為ブローカーのハトリ・マーシャルも取引を本格化する構えだ。
と記載されている。
減資
1999年(平成11年)3月11日の官報には、資本金を3億円から1億6千5百万円に減資する公告が出ている。
さらにこの先に日短エクスコと合併し、ハトリ・マーシャルは消えてしまう。
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